2017年5月14日日曜日

知的能力(IQらしきもの) vs 仕事能力

IQが高いこと=仕事能力が高いこと」が成り立たない理由を考えてみた。

「知的能力=供給側の能力」、「仕事能力=需要側の評価」だから。

いくら知的能力が高くても、それはあくまで供給側の能力であって、需要側の評価が高くなることには直接的に繋がらない。供給側がいくら能力を持て余したとしても(供給側のストレスは増大したとしても)、需要側には関係ない。
供給と需要の乖離に繋がる。
メンサみたいな高い知的能力を持った人は仕事が出来ない、と言われるのはここら辺が原因だと思う。(そしてストレスで性格がちょっとづつ曲がっていくのかもしれない。)
また需要側の求めている仕事を提供する能力がない(or提供する気もないのかもしれないけど)のではなく、需要側が間違った場所・仕事を与えているor供給側が間違った場所・仕事を選択しているだけだと思う。

そしてこれからの日本社会で「IQが高いこと」自体は不利に働くのではないか、と予想する。(ただし英語or中国語がバイリンガル並みに出来ると別の話。)
なぜなら「IQの高さが必要とされる仕事=高い利益を生み出す仕事」に近いから。
現在の日系企業が最も不得意とする高利益率分野は減少していくから。
大半の日経企業が得意とするのは低い利益率の仕事を大量にこなすこと。オリジナリティーよりもコモデティー。「独自性の高い商品を高く売る」より「普遍的な商品を安い値段で大量に売る」に特化してしまったから。IQが高いこと自体が、仕事をする上でのストレスとなる。 

対策としては、やはり英語か中国語がバイリンガル並みに出来て、かつ独自のセールスポイント(理系なら特定の技術領域、文系ならAccessなどでのデータベース構築など)を持つことだと思う。
そして低利益率(普遍性、フツーの事業)を追ってしまう日系企業を避けること。

日系企業の需要側(=雇用者側)IQ高い人を使えれば良かったのにね(過去形)。